【HEROES HISTORY#356】松平不昧
松平不昧は、江戸時代中期の儒学者で、また越前福井藩の第8代藩主として知られています。1751年3月11日に生まれ、1818年5月28日に67歳で逝去しました。彼は儒教の教養を深め、その学識をもとに藩政改革を行い、後世に多大な影響を与えました。
松平不昧の生涯
時は、江戸時代初期。黒い瞳に映るのは、四季折々の美しい風景と厳格な武士道。これが松平不昧の幼年時代であった。彼は、元禄11年、赤穂藩主松平家の出で、松平定直の九男として世に生を受けた。幼少期から剣の達人と謳われ、その他にも茶の湯や書道など、さまざまな芸道を極めた。
さらに彼の一族は茶道を重んじ、特に父は有名な茶人であり、その影響は不昧に大きく影響を与えた。彼は父から直々に教わった「裏千家茶道」を習い、その後の人生に大きな影響を与えることとなった。自身の存在を、芸道への没頭と理解し、茶道の精神性を追求する中で、彼はその人生哲学を築き上げた。
松平不昧の最期
苦労と功績が認められ、幕末期には大老にまで上り詰める彼の人生だったが、その終焉は彼自身が予想だにしなかった形で訪れた。文久3年、老齢と病により彼は床に伏せることとなった。しかし、その姿は依然として厳然たるもので、常に学問や芸道への情熱を忘れることなく、そのままこの世を去った。
床に伏した彼の元へ、次々と訪れる弟子たち。彼らに対する不昧の言葉は常に教訓に満ちており、彼の精神性と教えへの深い尊敬を引き立てた。彼の存在は、茶道をはじめとする日本の伝統芸道の精神性を、後世に深く刻み込むこととなった。
彼の人生最後の日、彼は床に伏し、ついに静かな息を引き取った。しかしその魂は、その強靱な精神と共に、いつまでも後世に生き続けている。それは、彼がこの世に刻み込んだ茶道の精神性と人間への敬意が、いまだに多くの人々に影響を与えているからである。松平不昧はただの武士ではなく、また茶人であると同時に、道を極めようとするすべての人々への永遠の師であり続けている。
松平不昧の格言
「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」
松平不昧の哲学は彼の格言、「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」に見て取ることができます。この言葉は、彼が追求した茶道の精神を如実に表しています。茶室では亭主と客が一体となり、亭主は客の気持ちに寄り添い、客は亭主の気持ちを理解しようとします。それは、他者への思いやりと理解、また互いの心を通わせる繊細な感覚を示しています。
この格言は、茶道だけではなく、人間関係における普遍的な価値を示している。他者の立場に立って物事を考え、自身の立場を理解してもらうこと。そこには、不昧が見つめた人間の繋がりや共感、相互理解というテーマが深く込められています。
松平不昧のこの格言は、今日でもなお、人間と人間とのコミュニケーションの在り方、他者への理解と尊重という普遍的なテーマを我々に問い続けています。
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