【HEROES HISTORY#325】十返舎一九
十返舎一九(本名:小林政庵)は、江戸時代中期の浮世草子作家で、江戸の下町を舞台にした洒脱な作品で知られています。彼は1765年に江戸(現在の東京)で生まれました。1831年9月12日に66歳でこの世を去りました。彼の生涯は、多くの名作を生み出した創造的な才能と同時に、時代と共に変わる都市文化の生き証人でもありました。
十返舎一九の生涯
風鈴の音が響く暑い日、1765年の夏、武蔵国荻窪(現在の東京都杉並区)で十返舎一九は生まれました。父は蘭方医で、慎み深く、家族思いの人物でした。父の影響で一九も医学を志し、しかし彼の心は、対照的な世界、人々の喜びと悲しみを描く物語の世界に引き寄せられました。
彼の作品の中で特に顕著なのは、その軽快なユーモラスな筆致と巧みな人間描写です。彼は「浮世草子」の世界を通して、江戸の市井の人々の生活を活写しました。その眼は時に鋭く、時に温かく、庶民の喜怒哀楽を見つめ続けました。
明治時代の到来とともに、彼は新たな挑戦に直面します。彼のスタイル、彼のユーモラスな描写は、新しい時代の読者に対してどのように受け入れられるのでしょうか。
十返舎一九の最期
彼は一病息災となります。しかし、彼の筆は止まることを知りません。彼は病床でも仕事を続けました。医者として、作家として、そして何より人間としての情熱と志を持ち続けた彼の姿は、多くの人々に感動を与えました。
そして、1831年の春、彼はこの世を去りました。彼の最期は静かで、周囲の人々に見守られながら穏やかに息を引き取りました。その死は彼の生涯と同じく、簡素でありながらも、深い人間愛に満ちていました。
彼の遺作となった「南総里見八犬伝」は、その創造力と人間への深い洞察力を見せつける作品であり、一九が残した最高の遺産ともいえます。
十返舎一九は、明治時代の変革の中で揺れ動く庶民の心を描き出し、その生涯を通じて、「笑い」に込められた人間愛を伝え続けました。その作品は今もなお、私たちに人間の喜びと悲しみ、そして人生の美しさを教えてくれます。
十返舎一九の格言
「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」
十返舎一九の格言「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」は、彼の生き方や人生観を象徴しています。この格言は彼が残した代表的な戯作「東海道中膝栗毛」から引用されたもので、物事の無常や生死に対する彼の独特な視点が表れています。
「おいとま」は一時の別れを指し、「どりや」は鳥屋、つまり籠の中の鳥を指します。この鳥が自由に飛び立つように、人間もまた生死を越えて自由になる、という彼の思索が表現されています。一方、「せん香」は線香で、それが燃え尽きるとき、線香とともに人間もまた消えていく、という一九の厳然たる現実観も示されています。
この格言は、人生の無常を受け入れ、その中で自由を見つけ、自己の存在を積極的に肯定する一九の精神性を鮮明に示しています。それは彼の作品に見られるユーモラスでありながらも深い洞察を垣間見ることができます。
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