【HEROES HISTORY#96】和泉式部
和泉式部(いずみしきぶ)は、平安時代中期の歌人で、その生涯は不詳の点が多いです。彼女の生年については明確な記録が残っておらず、一般的には10世紀中頃(仁和元年(885年)から天暦元年(947年)の間)に生まれたとされています。没年についても同様に不明ですが、1030年3月21日に亡くなったと推測されています。
和泉式部の生涯
平安時代の中頃、紫式部が『源氏物語』を綴る時代と同じく、和泉式部と名乗る女性が存在しました。その実名は不明ですが、彼女の雅号、和泉式部からは、和泉国(現在の大阪府南部)の出身で、宮廷の女房であったことが窺えます。
彼女の名は、特に日本最古の歌集『古今和歌集』に収められた43首の歌で知られています。ある歌人として、彼女の歌は心情豊かで、時には自然を見つめ、時には人間の営みを描き出す独自の視点を持っていました。
和泉式部の最期
和泉式部の最期については、歴史が詳細を語ってくれない。彼女の死亡年やその状況は不明で、遺された歌だけが彼女の存在を伝えています。しかし、その歌の中には彼女の生き方や思考、感情が繊細に描かれています。
「朝顔に 露を重ねて 住みなれば 離れゆく身と 人には告げよ」という彼女の歌は、その物静かな終焉を予感させるかのようです。朝顔の花が露で重たくなり、やがて花は枯れてしまう。その過程を通じて、彼女自身の寿命を静かに受け入れていたのかもしれません。彼女の歌には、人生の終わりを見つめ、受け入れ、そしてその一瞬一瞬を大切に生きる姿勢が見て取れます。
その生涯について詳細は不明ながらも、彼女の歌には彼女自身が生きた証と、人間の感情の深淵を垣間見ることができます。それが、和泉式部の最期と言えるのかもしれません。
和泉式部の格言
「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」
「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」という和泉式部の詠んだ一首の歌が彼女の格言とも言えるでしょう。この歌は、髪を整える際に恋人の手が恋しくなるという情感を描いています。
黒髪が乱れたとき、それを整えるのは通常、自分自身か、親しい者の手によるものです。しかし、恋人の存在がそこにあった時、その手が自身の髪を撫でる感触、整える親しみがなければ、その欠如が深い寂しさとなり、その人をより一層恋しく思うのです。
和泉式部のこの歌は、人々の間で広く共有される恋愛の情感を、繊細かつリアルに描き出しています。日常の一コマから湧き上がる恋心、失われた時の悲しみを表現する彼女の鋭い洞察力と感性が垣間見えます。そしてその感性は、時代を超えて今に至るまで多くの人々に共感を呼び、その生き様や思考を伝え続けています。
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