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【HEROES HISTORY#267】本多正純

【HEROES HISTORY#267】本多正純

本多正純は、江戸時代初期の武将で、徳川氏の重臣でありました。彼の生涯は長く、1566年から1637年までという71年間に渡りました。正純は1566年に生まれ、1637年4月5日に84歳でこの世を去りました。彼の生涯は戦国時代から江戸時代初期までと、大変激動の時代を生き抜いたと言えます。

目次

本多正純の生涯

風呂敷に包まれた運命の子、本多正純。彼は、戦国時代末期の1566年、三河国岡崎の城下で生まれました。その瞳からは、まだ視界に入らない広大な世界への期待と好奇心が溢れていました。

幼少の頃から父親から武士の在り方を教え込まれ、厳しい訓練を経験。正純は日々、剣術や武術の技を磨き上げました。時には父と共に川に入り、身体を鍛えました。苦しい訓練の中でも、彼はいつも一貫した勇気と意志を持って挑みました。

本多正純は三河一向一揆の戦で初陣を飾り、以後、徳川家康に仕え、次々と戦場で活躍。明るい頭脳と無骨な勇気で、その名を広く知らしめました。

本多正純の最期

時は流れ、1605年、家康が二代将軍秀忠に征夷大将軍の座を譲ると、正純も老中に就任しました。この時点で既に彼は五十歳を超え、長い人生を戦場で過ごしてきました。老境に差し掛かる彼にとって、平穏な時代が訪れたかに思えたのでしょう。

しかし、平和な時代の到来は彼の戦う心を休ませることはありませんでした。1614年、大坂冬の陣。一度は引退を考えていた正純でしたが、家康からの頼みに応じ、再び戦場へと足を踏み入れました。彼の戦士としての矜持は、平和な時代にも揺るがぬものでした。

そして1637年、武士としての人生を全うした彼は、遂に息を引き取りました。歳月は彼の肌に深い皺を刻み、戦の傷はその身体を彫りましたが、眠るその顔には、達成感と満足感が宿っていました。正純は、自分の生きざまを全うしたのです。

本多正純の格言

「日だまりを 恋しと思う うめもどき 日陰の赤を 見る人もなく」

正純が遺した「日だまりを 恋しと思う うめもどき 日陰の赤を 見る人もなく」は彼の人生観を映す深遠な言葉と言えます。これは、花である「うめもどき」が日陰に咲き、その美しさが認められずにいる様子を描いた一節で、彼自身がその生涯を通じて経験した営みへの反響とも言えるでしょう。

正純は生涯を武士として過ごし、戦の中で力を尽くしました。しかし、その中で常に存在したのが、自身の行いが見落とされ、認知されずにいる悔しさでした。この格言はそんな彼の内面を詠んだものと解釈できます。

それはまた、彼が認められずとも自分の道を貫く強さを示すものでもあります。日陰で咲く「うめもどき」のように、誰もが認識しない中で自己を保ち、自分の役割を果たす覚悟と責任感を示しています。この一節から、本多正純の実直な人柄と彼の強い精神を垣間見ることができます。

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